世の中は否定で溢れかえっています。
それはなぜか。
否定は息をするが如く簡単にできることだからです。
どんな素晴らしいアイデアや意見を発表している人がいても、なんとでも難癖をつければ否定できてしまいます。
どれだけ多くの人に支持されていたとしても、自分は嫌いだからという理由でも否定ができます。
気に食わないとか、自分の考えと違うからとか、なんでもいいんです。
否定意見なんてのは、どんな事に対しても必ずひねり出すことのできる難易度の低い物だと思います。
だからして、インターネットでは何かにつけて否定意見を見かけるし、否定を唱えた人も「言ってやったぜ」と言わんばかりの態度をしている事が非常に多い。
とても簡単に出来る行為の割に、相手に与えるダメージが大きいため、乱用されるわけです。
仕事をしていてもよく見かけます。
新しいアイデアをどれだけ出しても「でも…」「なんか違う…」と否定しかしてきません。
結局、否定しかしない人というのは、誰でもできることをやってるだけで全く価値がないんです。
ただ文句を言いたいだけの人だと思われても仕方がないと思います。
そんな無価値な人間だと思われたくない場合、本当に意味のある否定を訴えたい場合、
そういう時は代案を出すようにすれば良いと思います。
相手の意見を否定するなら必ず代案を出す。
「その意見だと、これこれこういう理由でよくないなあ。だから、こうしてみてはどうだろう」
と、否定の理由を述べた上で、それに代わる案を出すのです。
別にネットのコミュニティ上で否定だけをしている人たちなんかは、周りから白い目で見られるだけなのでどうでもいいですが、
仕事や人とのつながりを大事にしていく上では重要な事だと思うので、
自分の今までの言動を振り返ってみては、良い方向に持って行ってはどうでしょうか。
根拠のある「現状維持」は代案に含まれます。
コメント
まずは一言
おまえがな
>結局、否定しかしない人というのは、誰でもできることをやってるだけで全く価値がないんです。
別に価値の有無を目的として否定をしているわけではないかと。代替案が出せればそれに越したことはないかもしれませんが、別に否定をするだけに終わっても、それはそれで別に構わないと思います。
非常に同感です。
人のことを褒めるのって貶すより難しいのですよね。
常に否定しかしない人はどうかと思うのですが。状況によるんじゃないかと思います。
代案は思いつかないのだけども、
ある案を実行したら、デメリットやリスクがあることが分かっている場合、否定すべきです。
否定しないで何かが進行していき、想定されていたリスクが具現化するくらいならば、
現状維持のために否定というのも、選択肢としてありかと思っています。
否定というのは確かに簡単です。
それこそ思考停止状態ですね。
まあ、状況により否定すべきところはありますが、否定ばかりの人とはあまり上手くいかないなあ。
日本のネット空間では、代案等のアイデアを出せば嫌われる傾向があります。ネット上の数々の専門的コミュニティでアイデアを投稿する社会実験を以前やりました。その結果得た結論は「アイデアは嫌われる」の原則でした。以下のページをご参照ください。
http://d.hatena.ne.jp/futureeye/20090502