解釈の仕方一つで世界は変わる

哲学者「ニーチェ」がこのような言葉を残している。

『「事実」というものは存在しない。

 あるのは「解釈」だけだ。』

 

ある事柄について、見たもの、聞いたもの、触れたものが、

どう解釈するかによって、その事柄というのは変化するし、それは解釈する人の分だけ

バリエーションのあるものだ、というようなことを言っているのだろう。

 

それだけ、人の解釈の仕方というのは千差万別である、と言い換えることもできると思う。

深く考えれば、なるほどまったくその通りだと思う。

何をいっているんだ、事実はあるじゃあないか。真実はいつも一つ。じっちゃんの名にかけて。と怒り出す人もいるかもしれないが、

いわゆるそれは共通認識というものであり、多くの人が同じ解釈をするように広く広まっているというだけの話なのである。

 

これには良い面も悪い面もあって、例えば家が貧乏である、という共通認識があったとしても、

ポジティブに解釈すれば、これから伸びしろがあるわけだし目標を持って生きていける、となることもできるわけだし、

ネガティブに解釈すれば、俺は最底辺なんだ、鬱だ氏のう、となってしまうわけである。

気の持ちようということでもあるので、願わくば前者の方でかくありたいと常々思うものだが、簡単にはそう行かないのが難しい所である。

 

また、「自分の都合のよいようにだけ解釈する」という困った人もいるので、注意が必要である。

仕事の現場においては、多くの人が自分勝手な解釈をすることを防ぐために、資料を作成し会議を行い、共通認識をより深めていくことが大事なのであるが、それでも「都合のよい解釈」をしてしまう人というのはいるのだ。

 

昔の話だが、「パソコンの事よくわからんねん」が口癖のおエライさんがいた。

これが何故か重要なポストを任されることが多く、彼が関わるプロジェクトは毎度混乱をきたすという噂が絶えなかった。

何故そんな人を重要なポストに置くのかというと、もっとオエライさんとコネがあるので、仕方がなかったらしい。

一度その人を交えたとある地図システムの打ち合わせを行っていたが、技術陣で技術に関するミーティングを行ったり、画面の表示デモを行っていると、そのおエラいさんが

「え、そんなに表示小さいの?思ってたんとちがうわ」

と言い出した。

どうも彼の解釈では、日本地図全体が1画面に表示され、全国に分布するお客様の位置情報(数十万件)が全て表示されて、1画面を見ただけで全てが把握できる画面になるつもりだったらしい。

発想がぶっ飛んでいるし、実務を鑑みない、管理側の人間にありがちな思考ではあるのだが、それでもいまいち完成図が想像できそうにない。

スパイ映画とかで、CIA本部あたりにそういうシステムを映画館並のスクリーンで表示していそうな感じはあるが、そういうイメージなのだろうか。

やはり、都合よく解釈をしてしまう人というのは危険なのである。

 

だが、都合よく解釈する人は、仕事でなければ面白い場合が多い。

私の養父にあたる人は、固有名詞を覚えるのが不得手で(天然ボケとも言う)自分の中で知っている言葉で勝手に置き換えて話をしたりするので、聞いている方はとんちんかんでちぐはぐな印象を受けてしまう。

 

近所にある「ケイヨーデイツー」という名前のホームセンターのことはずっと「ケーズデンキ」だといいはるし、

「ハーバーランドへ行く」ことを「ハーバード大学へ行く」と言う。

最初数文字があっていれば、それは同じものであるという解釈なのだ。

 

それは、対象の名前が文字として表示されている時でも起こってしまう。

以前、床の間でみんなでテレビを見ていたのだが、クイズ番組をやっていた。

「俺はクイズ得意やからな」といいながら、養父は出された問題を答えながら楽しんでテレビを見ていた。

問題が「モンゴル帝国の初代皇帝は?」という歴史クイズで画面には

 

チン[      ]

と表示されていた。養父は

 

「チン・・・ガリアンでもないし、チン・・・なんやったかなぁ。えーと、ここまででかかってるんやけどなあー」

と言いながらあれこれ言っていた。

すると正解が発表され画面には

 

チン[ ギスハン ]

 

と表示された。養父は言った。

 

「ああーせやったせやった!ジンギスカンハーンやったわ!」

 

かくして、彼の中でモンゴル帝国の初代皇帝はジンギスカンハーンとなってしまった。

やはり自分と違う解釈をする人は面白い。

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